今日は私の育った環境や子どもの頃の話をします。
皆さん、こんにちは。
ついに10月も終わり11月に入りましたね。
いつもブログをご覧いただきまして、ありがとうございます。
さて......今日は『自分語り』というか自己紹介をさせて頂きたいと思います。
レアリティ【ノーマル】と申しますが、勿論本名な訳もなく、ただ私の属性を端的に表しています。あえていうなら今の時点でレアリティ【ノーマルプラス】くらいになったかな、といったところです。
下らない自慢話や自分語りをするつもりはありませんが、私が皆さんに提供する情報に『価値があるかどうか、聴くに値するか』を判断するのに私の属性というのは非常に大切だと考えています。
一般的に『成功者』と言われるような体験をしておりますが、その百倍くらい失敗を体験してきました。そうした過程の中で特別な才能がなくても通るべき良質なプロセスを踏めば成功に行き着けると確信をしました。
このブログ内のあらゆるメッセージやノウハウは自分が二十歳くらいだった頃に『これさえ知っていれば後10年くらいは先回り出来たのに......』『もっと早く年収1000万くらいは突破出来たのに......』と考えたことを形にしているものです。
たまには過去の話をしたいと思います。
これは実話です。
私の子どもの頃は超がつくほどの貧乏でした。
朝になれば取り立ての電話が鳴ります。
私の父は自営業でバブルの頃はかなりの恩恵を受けていました。
しかしバブルが崩壊してからはもう地獄です。
取引相手からは返品の嵐。
借りていたガレージは返品の山です。
はっきりとはわかりませんが、貯金なんてすぐに消し飛び借金生活です。
電気・ガス・水道は滞納。請求書の山。
全てのライフラインが止まったことさえあります。
私もまだ当時は小学生で、どうしてうちがこんなにも貧乏なのかわかりませんでした。
わからないし、周りの友達と比較しても辛いだけの日々でした。
よく父や母に、うちはうち。よそはよそ。
そう言い聞かせられていました。
私の成績も悪い方でした......通知表をもらうときは、
よく怒られていましたね。平均以下じゃないか。もっと頑張れ。
友達のあの子はもっと勉強してるぞ。とよく言われたもんです。
矛盾してますよね…...両親にもよく言いました。
よそはよそでしょ?更に怒られました…...
私はその答えを知らないし、
まず貧乏な時点で両親自体が周りより劣ってると思ってました。
子どもながらに思っていたので......ご容赦ください。
その子どもの私が劣っていても仕方ない......。
小学生の頃はよくそう思っていました。
中学生になり相も変わらず貧乏。よく笑われました......
お前の家は貧乏。
こんな事は数100回言われています。
貧乏でかわいそう。
貧乏だから勉強もできない。
まぁ、子ども心ながら傷付きました。
今では感謝しています。
中学2年になる頃に私は才能が覚醒します。
別に家が貧乏なのは私自身のせいじゃないし、
その事で何か言われてもどうしようもない。
何て言うか割り切れたのか、吹っ切れたのか…
逆に見返してやろうと思いました。
貧乏だし勉強もできない私がなぜか勉強に励み始めます。
ただ見返したいだけです。認めてほしいとかそんな気持ちはありません。
中2の終わりの頃には上の下くらいまできました。
怒りのエネルギーは人生で1番大きなエネルギーですからね......
勉強すればする程、少しずつ気持ちも変わっていきました。
楽しいとかはなかったですね。
そういう感じじゃなかった。
何年間もしみ込んだ反骨精神とでも言うのでしょうか......
中3の夏には学年で10番以内にはいつもいました。
塾になんて通わせてもらうお金はありません。
ひたすら学校の勉強の復習のみです。
小学生の頃は貧乏が恥ずかしくて、とにかく嫌だった。
中学生の頃は貧乏に腹が立って、同級生も両親も見返したかった。
高校生になって貧乏に感謝しました。
貧乏は尊い。
貧乏でも出来ることはある事を学びました。
ないものを数えても仕方ありません。
出来ることを全力でやる。私はただ見返したかった。それがきっかけでした。
高校生にもなると、それらがくだらなく思えました。
別に私の両親が貧乏だからと言って、私が何も出来ない訳じゃないし、
未来が真っ暗かというとそうじゃない。
どんな偉人でもそういう報われない時があります。
私はたまたまそれが人より早かった。だけと思うようになりました。
貧乏は武器。
自分でこれからたくさんのものを手に入れることができるから。
子どもの頃のゲームとか、持っていなくても恥じゃない。
もちろんお金がない事で苦労もたくさんしました。
でも、その苦労は無駄じゃないんです。
どんな時でもうまくいかない時には理由があります。
その理由をふてくされないで、どこまで突き詰められるかだと私は思います。
今日はみなさんに言葉を贈りたいと思います。
襤褸を着てても心は錦。
着ている物はみすぼらしくても、
心は錦を羽織ってるくらい気高いという意味です。
みなさんの人生もきっとよくなります。
努力はして当たり前です。一緒に昨日よりも成長してる自分でいましょう!
みなさんの人生を応援しています。